京都の桜

日本の伝統美が今なお生き続けている

京都は、全国各地に多数ある観光地と称される場所の中でも、その代表の一つでしょう。私たちはこの町のどこに惹かれるのでしょうか。それは、京都が日本の中でも、最も日本の伝統美が今なお生き続けているからです。

訪れる度に新しい発見がある町

京都も残念なことに、現代の都市化の流れの中で、京都も大きく変貌しています。しかし、京都には長い歴史と伝統があり、それが今日に至っても街中に、そして人々の暮らしの中に生き続けています。市街地を一歩離れれば、昔の静寂、昔日の面影が色濃く残っています。今日、「小京都」と呼ばれる都市が、あちこちに点在していますが、やはり京都という都市、その言葉の響きに、現代人の心をやわらげ、癒してくれる何かが存在しているからでしょう。

私が最初に京都を訪れた時から、20年以上の歳月が流れています。それ以後も、今に至るまで京都は何回となく訪れていますが、京都を訪れる度に、新しい発見があるのもこの町の魅力の一つです。

京都は三方をなだらかな東山、北山、西山の山々に囲まれ、盆地の中を北から南へ賀茂川が流れています。「京都の山々があんなにもなだらかなのは、長い間人々に見つめられ、磨り減ってしまったからだ」と詠った詩があります。信州の男性的な山々に比べ、いかにも京都らしく女性的で、日本の多く都市と趣を異にするのは、この街が正しい碁盤の目のように並んでいることでしょう。これは、平安京の区画を基礎に発展してきたからです。市の中央部は洛中と称して、どこまでが洛中の範囲になるのか定かではないですが、ほぼ規則正しく南北と東西に通じています。もともと平安京は、朱雀大路を中心にして、西に右京(区)と東の左京(区)が対になって町作りされました。しかし、右京は土地が低く幾度も洪水にあったこともあり、左京の方が栄えていたようです。

北へ上がる、南へ下がる

旧市街地では、上(かみ)と下(しも)という方向の区別が通用します。二条から北が上、南が下と呼ばれます。街路が碁盤目に通っているので、通りがそれぞれ名前を持っていて、地名は東西・南北の交点で現すようになっています。例えば、四条河原町といえば、四条通りと河原町通りの交差点で、そこから東は東入る、西へは西入るで、北へは上がる、南は下がるという習慣になっています。

地名で間違えるのが、四条烏丸で、「しじょうからすま」と言うのが正しく、「よんじょうからすまる」といって京都っ子に苦笑された思い出があります。丸・竹・夷・二・押・御池と続く、京都人なら誰でも知っているわらべ歌があります。東西に走る通りと、南北に走る道を、それぞれ北から南へ、東から西へ順番に読み込んだものです。

ちなみに、東西の通りは「丸(まる)・竹(たけ)・夷(えびす)・二(に)・押(おし)・御池(おいけ)(丸太町、竹屋町、夷川、二条、押小路、御池)」「姉(あね)・三(さん)・六角(ろっかく)・蛸(たこ)・錦(にしき)(姉小路、三条、六角、蛸薬師、錦小路)」「四(し)・綾(あや)・仏(ふつ)・高(たか)・松(まつ)・万(まん)・五条(ごじょう)(四条、綾小路、仏光寺、高辻、松原、万寿寺、五条)」「六条(ろくじょう)・三(さん)哲(てつ)とおりすぎ(六条、三哲)」「七条(しちじょう)こえれば八(はち)・九(く)条(七条、八条、九条)」「十条(じゅうじょう)・東寺(とうじ)でとどめさす(十条、東寺)」である。また、南北の通りは「寺(てら)・御幸(ごこ)・麩屋(ふや)・富(とみ)・柳(やなぎ)・堺(さかい)・高(たか)(寺町、御幸町、麩屋町、富小路、柳馬場、堺町、高倉)」「間之(あいの)・東(ひがし)に車(くるま)・烏丸(からすま)(間之町、東洞院、車屋町、烏丸)」「両(りょう)・室(むろ)・衣(ころも)・新(しん)・釜(かま)・西(にし)・小川(おがわ)(両替町、室町、衣棚、新町、釜座、西洞院、小川)」「油(あぶら)・醒(さめ)・堀(ほり)・葭屋(よしや)・猪(いの)(油小路、醒ガ井、堀川、葭屋町、猪熊)」「黒(くろ)・大宮(おおみや)・松(まつ)・日暮(ひぐらし)に智恵光院(ちえこういん)(黒門、大宮、松屋町、日暮、知恵光院)」「浄(じょう)福(ふく)・千本(せんぼん)・はては西陣(浄福寺、千本、西陣)」と歌います。

京都で、ご年配の方に道を尋ねると、北の方へ行くことを「おあがりやして」、南の方に行くことを「おさがりやして」と教えてくれます。

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