京都御所の建礼門

東京に遷都されるまで歴代天皇がこの地に住んだ

京都御苑は京都のほぼ中心に位置して、約65万平方メートルの広さがあります。その中に築地壁(ついじべい)を巡らせた、京都御所と仙洞御所があります。京都御所は東西約250メートル、南北約445メートルあり、薄い茶色に5筋の白線を引いた築地壁が周囲に巡らされています。現在のものは平安時代の大内裏ではなく、光厳天皇が南北朝時代に土御門東洞院邸の里内裏(さとだいり)を正式に皇居として以来のものです。ここには歴代の天皇が、東京に遷都されるまで住んでいました。

信長・秀吉・徳川幕府により増改築が行われた

里内裏とは、火災などで内裏が炎上した際に修復するまでの間、臣下の邸宅を仮御所するものです。京都御所は、信長・秀吉・徳川幕府の手により大がかりな増改築が行われてきましたが、その後も火災に見舞われました。造営の際に、不要になった建物や門は門跡寺院や皇室に縁の深い寺院に払い下げられたので、南禅寺方丈や仁和寺の金堂などに遺構を見ることができます。

6つの門で外につながっている

御所には現在6つの門があります。その一つ蛤御門(はまぐりごもん)から入ると正門の建礼門に辿り着きます。ちなみに蛤御門は、天明8(1788)年の大火により開門され、焼けて口をあけるハマグリに例えて、こう呼ばれるようになりました。

また、幕末の元治元(1864)年には長州藩と御所を守る諸藩の兵が戦った「蛤御門の変」でも知られています。普段は建礼門は閉まっていて、天皇や外国政府要人などが来訪した時と、重要な儀式があるときだけ開門します。

その他、北には朔平門(さくへいもん)、東には建春門(けんれいもん)、さらに西に宜秋門(ぎしゅうもん)と清所門(せいしょもん)、皇后門(こうごうもん)が置かれています。

大政奉還が決定されたといわれる小御所

参観を希望する場合は、西の清所門から入ります。清所門を抜け南へ向かい建礼門まで辿り着くと正面に承明門があります。この承明門を抜けると、御所の正殿で寝殿造の紫宸殿(ししんでん)が現れます。檜皮葺(ひわだぶ)きの単層(たんそう)入母屋造(いりもやづくり)で、東西約33メートル、南北約23メートルに及ぶ木造建築物です。朱塗りの回廊が巡らしてあり、右に月華門、左に日華門が置かれています。

ここで歴代天皇の即位式が行われ、向かって右に「左近の桜」、左に「右近の橘」が植えられています。紫宸殿の奥には、天皇の居所であった清涼殿があります。紫宸殿の右は宜陽殿(ぎようでん)で、その北に小御所、蹴鞠の儀が催される小御所北庭、さらにその奥に御学問所があります。

小御所は諸儀式が行われた場所で、ここで大政奉還が決定されたといわれています。御学問所のさらに北には東京遷都まで天皇の御座所だった御常御殿(おつねごてん)があり、ここから先は非公開となっています。

仙人の住まいを意味する仙洞御所

京都御所は春と秋に一般公開(各5日間)され、この期間外に参観するためには、宮内庁の許可が必要となります。仙洞御所(せんとうごしょ)は上皇の住まわれる御座所のことで、寛永5(1628)年に後水尾天皇が上皇となられた時に造営されました。

天皇は譲位の後、寛永6年から崩御される延宝8(1680)まで、この仙洞御所におられました。この御所は「仙洞」のほか「緑洞」「芝はこやの山」とも呼ばれ、中国の故事から名づけられたもので、「仙人の住まい」を意味しています。

造営当初から今日まで、仙洞御所はかなりの変遷を重ねています。後水尾天皇以後、5人の上皇の御座所となりましたが、3度の火災に遭遇し、安政3(1856)年に炎上した建物は、再建されることなく今日に至っています。

現在は小堀遠州の意匠による3万平方メートルの池泉回遊式大庭園だけが残っています。庭園は広大な苑池が中心となっていて、巨石を組んで「真」の山水を表したとされる北苑、滝組を中心にした「行体」の庭と呼ぶ中苑、美しい曲線の浜を造り中島を配した「草」の形式の南苑に分かれ、「真行草の庭」と呼ばれています。

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