妙心寺

臨済宗妙心寺派の大本山・妙心寺(山号:正法山)

南北朝時代に花園上皇が、離宮を関山慧玄(かんざんえげん)に下賜し、禅寺に改めたものが妙心寺で、寺地は広大で47の塔頭と七堂伽藍を有する京都最大の禅宗の大古刹です。

南門・北門のどちらから入っても美しい

広い境内には敷石が縦横に続き、両側に並ぶ伽藍は、南門・北門のどちらから入ってもきわめて美しい眺めです。

桃山時代建築の重要文化財建造物の勅使門は、南門の横にあり山門・仏殿・法堂・寝殿・方丈と並んでいます。右には鐘楼・経蔵があります。初めは、清原左大臣の別荘でしたが、やがて花園上皇の離宮となりました。応仁の乱で、玉鳳院を残して焼失してしましたが、細川勝元・政元の支援で復興しました。

名僧・高僧も数多く輩出して、竜泉・東海・霊雲・聖沢の妙心寺4派を起こして隆盛を誇り、80院以上が並びたつ勢いを示しました。伽藍の勅使門は、慶長15(1610)年の建立で、山門は慶長4(1599)年の建立です。現存する伽藍の中で最古のものです。楼上には十六羅漢や観音菩薩が安置され、天井には天人や龍が描かれています。

狩野探幽の「八方にらみの龍」が描かれているのが法堂の天井です。多くの塔頭寺院の中には、すぐれた庭園や建築を持つものが多いですが、一般に公開しているのは本坊のほか、退蔵院、桂春院、大心院のみです。

狩野派の特徴「豪快な中の優雅さ」が感じられる退蔵院

応永11(1404)年に建立された退蔵院は、応仁の乱の兵火によって妙心寺と共に炎上し、後に亀年和尚によって中興され現在に至っています。退蔵院の庭園は、方丈の西側から南面にかけてなりたっています。

主庭は西側で、方丈正面にかけての庭は平坦地の広場で、中央に松1本を植えたのみです。主庭は山石を主体とした豪快な手法の石組みで枯山水の景色を表現しています。寛政11(1798)年に発行された「都林泉名勝図会」には、詳細な庭園の全景が描かれ、「庭中は法眼元信の作なり他に類なし」とあります。つまり、退蔵院庭園は狩野法眼元信の作庭となっています。元信は文明8(1476)年から永禄2(1598)年にかけて活躍した、狩野派の様式を確立した画家です。

しかし、この説を裏付ける資料が他に残っていないので真偽は不明です。ですが、この庭を無心に眺めていると、狩野派の特徴である「豪快な中の優雅さ」が感じられます。庭全体が絵画的で構成や石組みのひとつひとつに、画家でなければなし得ないような感覚が感じられます。

庭と共に有名なのが「瓢鮎図(ひょうねんず)」です。鱗がなくぬるぬるしたナマズを瓢箪でいかにして捕まえるかという禅問答を絵にしたものです。室町幕府の将軍義持が画僧の如拙に命じて描かせた作品で、如拙の唯一の作品です。国宝であるこの絵画は、無造作に床の間に掛けられていますが、原画は京都国立博物館に所蔵されているようです。現在、床の間に飾られているのは江戸時代に模写されたものでした。

無限の世界を狭い空間に表現している

書院と方丈裏側の間には、「隠しの席」と称する茶席があります。桂春院は妙心寺境内の東北隅にあり、3つある庭園は寛永9(1632)年の創建当時のもので、北から南に傾斜する地形を利用しつつ、無限の世界を狭い空間に表現しています。それぞれに趣の異なる閑雅な庭になっています。

細川政元が明応元(1492)年、景覚和尚を開山として創建した大心院は、幽斎と号した細川藤孝が中興しました。本堂の裏側には、「阿吽庭」と呼ばれる昭和の名庭があります。岩と苔と白砂を配し、昇龍を表現した枯山水庭です。

当ホームページに記載されている文章・画像などの無断複製、転載を禁止します。
Copyright (C) 京都を流れる古都の風 All Rights Reserved.