東福寺本堂(仏殿)

5万坪の寺地に日本最古の巨大な三門が現存する

鎌倉時代初期、九条兼実の孫の関白九条道家は、九条家の菩提寺として都で最大の寺を作ろうとしました。その寺が東福寺(とうふくじ)で、約5万坪といわれる広大な寺地をもち、建長7(1255)年に落成しました。

建武元(1334)年には京都五山の第3位に列せられて、渓谷をはさんで伽藍が南北一直線に並び、25の塔頭(たっちゅう)がその西側に立ち並んでいます。寺名の東福は奈良の東大寺と興福寺の二大寺から1字ずつ取ったものだといわれています。

釈迦如来や十六羅漢が安置してある楼上は非公開

伽藍最南端にある六波羅門は、北条氏の六波羅政庁の遺構とされます。すぐ近くには室町時代初期(1380年代)の建築で、日本最古の巨大な三門があり、楼上は非公開ですが釈迦如来や十六羅漢が安置してあります。

方丈の東西南北にはそれぞれ趣の異なる庭があり、方丈南庭は蓬莱・方丈・瀛洲(えいしゅう)・壷梁の四島に見立てた巨石と築山を配した枯山水庭です。方丈北庭は、敷石と苔地によって市松模様を構成した重松三玲(しげもりみれい)の作として名高いです。

ちなみに重松三玲は、大正から昭和にかけて活躍した作庭家で、東福寺のほか松尾大社など3百以上の庭を造りました。

紅葉の名所「通天紅葉」

三ノ橋川の渓谷、洗玉澗(せんぎょくかん)に架かる通天橋(つうてんきょう)の橋下は「通天紅葉」と呼ばれ、紅葉の名所として知られています。25の塔頭の中には名庭・名園を持つ寺も多く、光明院もその一つです。明徳2(1391)年に創建され、別名「虹の苔寺」と呼ばれています。

作庭は昭和のものですが、本堂前には波心(はしん)の庭と名づけられた枯山水庭が有名です。苔と岩が作り出す起伏が波のようで、大海をゆく船上のような気分になります。

多くの文人が詩歌で讃えた遺愛石

霊雲院(れいうんいん)は、熊本藩の細川光尚の遺愛石がある寺として知られ、この石は寺領500石を辞退した代わりに拝領したものだとされています。

この遺愛石は無双の名石として知られ、「さざれ石のなれる巌」と多数の文人が詩歌などで讃えています。また重松三玲による臥雲(がうん)の庭も有名です。

雪舟寺の別名がある芬陀院

芬陀院(ふんだいん)は元享年間(1321〜24)に、関白一条経通が父の内経の菩提を弔うために創建しました。室町時代後期の画家雪舟(せっしゅう)の作とされる鶴亀の庭があるところから、雪舟寺の別名があります。

寺伝によると、雪舟が所望されたのは「亀の画」でしたが、造ったのは石組みの亀だったということです。作庭の夜には亀石が動いたという伝説が残っています。書院南の庭園には、中央に亀島、左に鶴島を配し、ツツジや山茶花の刈り込みを取り入れた枯山水庭です。

また、茶関白と呼ばれた一条恵観が東福寺参詣の際に茶を楽しんだ図南亭(となんてい)を復元した恵観堂があります。

東福寺の南に伏見稲荷大社がある

退耕庵は非公開寺院であるが、石田三成・宇喜田秀家ら西国の武将が関が原の戦の謀議をした寺と伝えられています。東福寺から本町通りを南に向かうと、全国に4万はあるといわれる稲荷神社の総本山の伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)があります。

「伏見のお稲荷さん」の名称で親しまれ、商売繁盛の神として参詣者も多くいます。表参道の石の鳥居をくぐり、石畳の参道を東へ進み、朱塗りの楼門を入ると、正面が拝殿で、その奥に本殿があります。

「山城国風土記」によれば、秦伊呂具(はたのいろぐ)が餅を的にして矢を射たところ、餅は鳥となって稲荷山の山頂に飛び去り、その鳥が舞い降りたところに稲が実ったとされています。

そこに上中下の社を建てたということです。本殿は明応3(1494)年に造られ、稲荷作りといわれ、前方に内拝殿を持っています。本殿の裏を進むと鳥居のトンネルが現れます。千本鳥居と呼ばれる奉納鳥居で、そこを巡拝することを「お山めぐり」と呼んでいます。

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